スタンド花を買おう

人の借金の肩代わりでつぶれるかもしれない会社には、これもまた、誰もカネを貸そうとはしない。

AIGの資金繰りに一気に赤信号がともることになったのである。 こうなれば、格付け会社によるAIGの格付けも当然ながら引き下げられる。
そうなれば、AIGの債券にはざらに買い手がつかなくなる。 この悪循環が始まれば、その雪だるま作用はもう誰にも止められない。
何がどうしてこうなった何しろ、全米最大の生損保会社である。 その資産総額はおよそ一兆ドル(二○○八年第2四半期時点)、従業員数が約一二万人に達する。
資産規模がリーマン社の一・五倍、従業員リーマン社の場合とは異なって、AIGに対しては政府が救済に乗り出した。 まず、FRB(米連邦準備理事会)を通じた最大八五○億ドルの緊急融資資金が用意された。
政府がAIG株を七九・九%まで取得する権利も設定された。 ここまで来れば、事実上の国有化である。
世界最大の保険会社が国家管理下に入った。 リーマン社倒産のわずか二日後、二○○八年九月一七日の出来事だった。
AIG救済の理由リーマン問題への対応に際して、政府は一企業の経営ミスの尻拭いなどしないと大見得を切った。 ところが、その二日後には保険業界の巨人をほぼ丸抱えで救済した。

これには世界が当惑した。 リーマン社を見捨ててAIGを助けるのはなぜなのか。
それに対する政府の答えは二つであった。 その一が既にみた「つながり過ぎていてつぶせない」の論理だ。
それに加えて、AIGの場合には「大き過ぎてつぶせない」という問題もあり規模では同社の四・四倍である。 業態としても、基本的に「玄人」相手に商売をしていたリーマン社とはわけが違う。
一般市民を含めて幅広い顧客層を対象に保険サービスを提供している巨大企業だ。 しかも、そのビジネス網は世界中に広がっている。
まさしく、「大き過ぎてつぶせない」条件がそろっていた。 つながり過ぎていて、しかも大き過ぎる。
そのいずれか一つだけであれば、救済は見送ったかもしれない。 だが、図体も大きくてつながりも広いとなれば、見殺しにするわけにはいかない。
結果が恐すぎるからだ。 それがAIG救済の論理であった。
一応、理屈ではある。 だが、この理屈が果たしてどこまで本当に成り立つものであったかは、今もって議論の分かれるところだ。
しょせんは一貫性に欠けている。 要は次々と飛び出す亡者たちへのパニック・リアクションだったのだろう。
この辺りにも、恐慌の二文字が表す「恐れ」と「慌て」の一端がみられる。 もっとも、AIGの場合には、同じ「大き過ぎて/つながり過ぎて」といっても、他の金融機関とは少々異なる特性を持っていたことは事実だ。

それはAIGが保険会社であることに起因する特性である。 要するに、AIGとCDS契約を結ぶということは、その相手方の金融機関にとって一種の貸し倒れ準備金を積むことに等しい意味を持っていた。
優良保険会社とのCDS契約で保険がかけられているとなれば、その債権に関するデフォルト・リスク、すなわち回収不能に陥る危険性は事実上ゼロだとみなすことが出来る。 そうであれば、準備金を積んでおく必要はない。
その分、金融機関は投資や貸し出しを増やすことが出来るというわけだ。 投資銀行の場合には、わずかの元手で大きく投資するいわゆる「レバレッジ」取引が身上だ。
レバレッジとは、てこの原理の意である。 小さな力で大きなエネルギーを作り出す。
そのやり方に存分に物を言わせるには、元手は少なくて済むほど有り難い。 CDS契約は、その意味で投資銀行にとって極めて魅力的な安全装置だったのである。
特にAIGのような大物保険会社とのCDS契約なら、なおさら然りであった。 だからこそ、AIGはCDSビジネスで大きく業績を伸ばすことが出来たのである。
実際に、CDS契約によって保護されている資産については、自己資本比率規制上もリスク度を低く見積もることが認められていたのである。 ところが、頼みの綱のCDS契約が反故になってしまうということになれば、要は、中空で突然、足元からはしごが消えてなくなるようなものである。

投資銀行たちは、たちまち財務状況が悪化して、急遼、資金基盤の強化に奔走しなければならなくなる。 そのよう両雄の変わり身別の意味で、かなりクセのある亡者たちも出現した。
それは、モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスの投資銀行コンビである。 リーマン社にとって、彼らは常に追いつき追い越すべき強敵だった。
市場筋からは概して危ない橋を渡らない慎重さ、あるいは危ない橋を渡る時の足さばきの格別の見事さが評価されて来た両雄である。 なケースが続出することになれば、金融市場は大混乱だ。
資金の取り合いになって、貸し渋り、貸しはがしの連鎖に歯止めがかからなくなる。 このような事態を想定すれば、アメリカ政府が、早々、冷然とAIGを見放すわけにはいかなかったのも解らないことはない。
ただ、それにしても、事実上の国有化がCDSの出し手としてのAIGの信頼度をどこまで実質的に担保したかは別問題だ。 政府につっかえ棒役を果たしてもらわなければいけなくなった保険会社に、人々は果たしてどれほどの信頼感を持つか。
当座の資金繰り上は助かるとしても、公的管理下に入ることが、AIGの頼りがいを実際にどれほど格上げしたかは疑問が残るところだ。 いずれにせよ、地獄の一扉から出て来た亡者たちの中でも、AIGが格別に厄介な存在であったことは間違いない。
ユニバーサル・バンキング時代の生き残りかつてのアメリカでは、このような作戦を取ることはあり得なかった。 一九三三年銀行彼らにはすぐそこに破綻の危機が迫っていたわけではない。

少なくとも、表向きはそうだった。 それにも関わらず、彼らは避難先を求めて駆け込み作戦に打って出た。
銀行持ち株会社への衣替えを宣言したのである。 銀行持ち株会社となることは、彼らにとってどのようなことを意味していたか。
ポイントは二つある。 第一に、商業銀行業務を営むことが出来る。
言いかえれば、預金を集めることが許される。 そして第二に、FRBの管轄下に入ることになる。
銀行持ち株会社となれば中央銀行による監督・規制の眼にさらされることになるが、その見返りとして、中央銀行融資への門戸が開かれる。 既にみた通り、メリルリンチ社はバンク・オブ・アメリカの傘下に入ることで預金資金へのアクセスを手に入れた。
それに対し、モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスは、そのさらに一枚上をいって、みずから、商業銀行の看板を掲げてしまったのである。 そうすることで、預金基盤を確保するのみならず、中央銀行の庇護までも確保した。
法、通称グラス・スティーガル法によって銀行による証券業の兼営が禁じられていたからである。 つまり、いかに銀行持ち株会社になったからといって、一方で証券業務を営みながら、同時に商業銀行ビジネスを展開することは許されなかった。
むろん、メリルリンチ方式の生き残り作戦も違反行為となる。 グラス・スティーガル法は、一九二九年恐慌への反省がもたらした立法であった。

一九二○年代のアメリカにおいては、銀行業務と証券業務の兼営に関する規制がなかった。

花宅配に関するアドバイスです。欲しい花宅配が欲しい所に来た感じです。
花宅配業者にありがちな、予想外の花宅配の落とし穴を紹介。
花宅配の全てを網羅しています。花宅配にうってつけの製品です。

スタンド花のマニアックな情報をお届けします。個性派にオススメのスタンド花です。
想像してみようスタンド花です。スタンド花はそれほど難しくありません。
都内有数のスタンド花を厳選して紹介。便利で楽しいスタンド花が満載です。